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-第1章 「麻子の日記PART1」
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第2章 「麻子の日記PART2」

 世に五月病という病気がある。大学に入ったが勉強に興味を持てずうつ状態になってしまうというのである。日本の狭い選択肢の中でインテリア・デザインとい うカテゴリーがある。それによってインテリアの専門学校ばかりが世の中にできてくる。インテリアについて具体的な仕事に携わっていれば「ブルーと白」や「 グリーンとピンク」などの色の組み合わせに対する知識やテーブルや椅子の構造 力学・材料工学についての知識がいやでも必要となってくる。もしもインテリア の仕事がしたければ高等学校の在学中に夜間の職業訓練校でトレーサーの資格をとることでインテリアのデザイン会社も入社できるであろう。デザイン会社でトレーサーの仕事をしていくうちに色彩 の組み合わせや構造力学や材料工学に興味 を持てば、たまには図書館で専門書を読みたくなるし、本を読めばそうした他人が努力してとりまとめた知識を体系的に利用しない手はないと思うようになるで あろう。こうした本を手元におきたくなれば神田の古本屋に行けばよい。もし、 そうした専門書を読むことが苦痛なら、早めにインテリア・デザイナーになるこ とはあきらめた方が良いことが分かる。

 しかし、一度もインテリア仕事に携わったことがない人間が、いきなり専門書の 講義を受けても、相当我慢強いか、それともよっぽど想像力のたくましい人間でないかぎり、いったい自分が何をしようとしてその勉強をしようとしているのか 理解出来ないであろうし、また興味もわかないであろう。現実に入学を希望するインテリア専門学校の卒業生がどのような仕事についているかはっきり調べないで、とりあえずインテリアの専門学校へ行ってみようというのはいかにも無謀の ように思えてならない。インテリア専門学校で左側に@グレーとピンク、A茶、 緑と黄色、Bブルーと白とあり、右側に、@暖かみと落ち着いた感触、A森林浴 と同じような感覚を与える、B気分をハイにさせる、などの選択肢を結びつける試験で満点を取るくらいなら、神田で様々な色彩の組み合わせを例示したカラー 見本の本を探して歩いた方がよほど時間を有効に使っていることにはならないだ ろうか。それはちょうど「フランス革命の年号や人名に対する問題」や「経済学 で『貨幣はベールである』といった経済学者は誰かといった問題」にすぐ様答えられる能力を身につける努力と似ているようにも思える。

 その点麻子は恵まれていた。麻子の高校時代の日記には担任の英語の先生から「 君らにしかじかの本を読んだかと問うと『ええまあ』としか答えない。」「その本は読んでませんと自信をもって言えるくらい本をよんでみろ」といわれたこと がうつされているが、このことが麻子が本を読み始めたきっかけとなった。また 高校1年の時に「ボバリー夫人」の読後感が夏休みの宿題になった事があったが、 どうにもこうにも興味が持てず10ページだけ読んで読後感を書いたことがあった。しかし、その同じ本を大学受験の直前に面白くて一晩で読んでしまったこと も麻子の日記には記されていた。これなどは同じ事柄についても興味を抱く時期 には個人差があり、これを一律に数えようとすることに教育の無駄があることを 暗示しているように思われる。そして、その時麻子は様々な経験や特に感動が自 分を変えてゆくと感じた。

 また麻子の日記には麻子が大学へ入学した頃の麻子と教育のかかわりについて次 のようなことが記されていた。麻子が大学で初めて経済学に接したとき、中嶋正 信という先生は、「世の中には金もうけのうまい奴とへたな奴がいる。金もうけ のうまい奴が能力に応じて仕事をし、必要に応じて収入を得て、残りはほどこし をくれれば社会はうまくゆく。しかし、金もうけのうまい奴に限ってケチが多い 。その結果 、能力もなく収入も少ない人間は切なくなるか頭に来る。スタインベ ック『怒りぶどう』がこの間の事情に詳しい」と講義をスタートさせた。そして 、その日の授業は「経済学とは最大多数の最大幸福を達成するための様々な思い つきやグッドアイディアや新しい発見を体系化したものであるというピグーの本 を厚生経済学という考え方はおおむね正しいと思う。」というくだりでしめくくられた。麻子はすぐさまピグーの本を読んでみたい衝動にかられた。中嶋先生は 授業の中で、「学校の時計台にのぼり、この世の中のことを世界のことを毎日朝 から晩までながめて家へ帰ってから考えてみる。世の中も世界もそれは偶然と必 然が絡み合ってどんどんかわってゆく。そして、その中でコペルニクスの天動説 でないが、森羅万象の中に隠されているいろいろな心境が見えてくる。それが経 済学の原点だと思う。」と説明した。

 ケインズの第一方程式、第二方程式、あるいはIS=LM曲線もそのメカニズムを学ぶ前にケインズの置かれていた経済環境を十分に理解し同じ経済環境に自分 を置き換えた時、自分ならばどうしたかを考えればケインズの偉大さが見えてくる。マルクスの資本論を読むのも悪くないが、その前にマルクスが生まれ故郷の ドイツをおわれ、貧困の中で子供を失い頭に来てロンドンの大英博物館の図書館 で資本論を一気に書き上げた間の事情を調べたり、彼が宗教を貧者のオピアム( 阿片)と決め付けたくだりを調べてから資本論を読んだ方が資本論が判りやすい し、少なくとも興味を持って読むことができる。そして、夏休みの前に中嶋先生 はこれまでの話で経済学に興味の湧かない人は世の中に面白い研究テーマは物理 、数学、人類学、心理学、倫理学、哲学といったありとあらゆる学問の中や人間 の長い歴史の中にいくらでもあるから授業の後に自分の研究室を訪問してほしい 。大学4年を豊かなものにする方法についていっしょに話をしましょう。なぜなら 、これまでの説明で経済学に興味の湧かない人が経済学を理解するための努力を することを強要することは自分は好まない」とのべて前期の授業を終えた。

 また麻子はやはり学部時代に入交先生の経済史の講義の時も産業革命によりゲマ イン・シャフトがゲゼル・シャフトに移行してゆく過程で、好むと好まざるとに かかわらず都市へ集まっていったデラシネ(根なし草)と呼ばれる大量の人々に ついてNHKのドキュメンタリーよりはるかに強い印象を受けながら話に引き込 まれてゆく自分を意識することができた。マキャベリズム、マルサスの人口論、 メディア家に興亡、明治維新は絶対主義革命かブルジョワ革命かといったテーマ に次々と興味を抱いて行く自分が不思議であった。なんとモーゼの十戒時代にま でさかのぼらなければならないパレスチナ問題に秘められた民族対立やアルバニ アやアゼルバイジャンの民族紛争、そしてアフガニスタンに近いカイバル峠を超 えてアジアになだれ込んだ十字軍に代表される宗教戦争などについても興味が持 てなければ、そうしたテーマに時間を費やすことはまったく時間のムダとしか言 いようがない。

 麻子がボストンのビジネス・スクールに入学した時、学校のカリ キュラムのガイドブックの経済学博士過程の説明に、「少なくとも教職につくた めの博士過程であるという理由から、おおむねの主要な経済理論についての理解 が必要となるため、博士過程終了後、次に列挙する89冊の経済学書を試験範囲 とする経済学部 GENERAL EXAM にパスした者に博士論文を書く資格を付与する 。」と記されているのを発見し、麻子は経済学に対する興味が中毒症状をおこし た者が、経済学博士のコースへ進むのだなという実感を抱いた。

 そして、麻子はこうした中で二つのことを学んだように思う。その一つは興味を 覚えた事を調べたり考えたり反復継続し、その事柄を追求して行くことは、スポ ーツや男性とデートすることと同様に大変人生における満足度が高いというよう に思えてきたことであり、二つ目のことは統計学にしても哲学にしても経済学に しても何をしようとしているのか、何がわからないのかといった問題発見能力が そのことを理解していく上で極めて重要なことであることに気付いた点である。 例えば、統計学において植物の品種改良をするための交配と温度・温度条件をど のように効率的にテストするのか問題点を自分の頭の中で整理できれば二項分布 やカイ・スクエアといった統計学の手法はすでに理解したにも等しいと言えるの でないだろうか。

 そして、こうしたことから麻子は何かに興味を抱き、本を読み考える時に手の届 く書棚に現代用語辞典や世界地図を置き、フロイトにしろキルケゴールにしろ、 きがついたことや一見何の関係もなさそうなことだが自分が理解していることと ささいな点でオーバーラップしていることをたえず大学ノートに書き留めながら 先へ進んでゆく習慣というかクセが身についてしまったように思えた。また、そ れと同時に興味があるから他人から努力と見られるような行為を持続できるとい う意味では、ミュージカルにしろ大工仕事にしろバレーにしろ報道写真にしろカ メラ修理にしろ、出来るだけ早い機会にこうした他人から努力とみられるような 努力を持続できるかを常に見極め、努力を上回る興味が自分の体内に次々と生ま れてくるかを判定する能力も人間には必要な気がしていた。大学ノートに自分が 興味を持ち時間をみつけて今後整理してみたいことを次から次に列挙しておけば 、努力のきっかけは山ほどある訳で時間の空回りも少なくなるだろうと考えた麻 子は、次のようなことをテーマ別に大学ノートに整理してみた。

● マンハッタンでN.Y.U.の教授と国際結婚し自らもN.Y.U.の講師をしているまり 子と二ヶ月に一回程度食事をしながら話をすること。

● フロイトについてこれまで読んだ本をまとめること。

● アルベルト・モラビアの本のうちで読んでない本を読むこと。

● シカゴのリビング・ストーンをはじめとするライブ・ハウスをもう少し回るこ と。

● ジェフリーに手紙を書きアメリカに帰国した時イタリアでの考古学の話をきく こと。

● チンパンジーのカニバリズムについて、人類学の本で一度簡単に調べてみるこ と。(ちなみに、チンパンジーのオスは日に3回、発情したメスは不特定のオス と20回のセックスを繰り返し、こうした時にチンパンジーの子供の肉を食べる カニバリズムが行なわれる)

● キリスト教にまつわるマタイ伝などの書物を通読する。

● ロマノフ王朝、メディチ家に破壊、ビロード革命について調べること。

● シュンペーターの「資本主義対共産主義」の考え方を整理すること。

● ガルプレイスの予言があたっていたかチェックすること。

● ユーゴスラビアのチトー政権誕生時の民族間の内政混乱について調べる。(E C統合等、世界的な他民族共住時代への動きを前にしてこれまで世界的にも唯一 の他民族国家ユーゴスラビアでチトー大統領が、かかげた多民族国家の理想は今 逆に破壊しようとしている。)

● サンジバルが英国保護領、タンガニーカをへて今日のタンザニアになった歴史 を調べる。またタンザニアとザンビア間に北朝鮮の援助で付設されたタンザン鉄 道についても調べること。

● コロンビアの大麻薬王・カルロス・レデルとタイ・ビルマ・ラオスの麻薬王で 「シャン統一軍」のリーダーであるクン・サについて調べること。

● パナマのノエリガ、ルーマニアのチャウセスク、ザイールのモブツ、タンザニ アのニエレレ等、世に独裁者といわれている人々の人間像を調べる。

● ボリビアの労働紛議について調べること。

● アフガニスタンの最大反政府組織ムジャヒティンについて調べる。

● 「リリアン・ヘルマンの思いで」(ピーター・フィーブルマン著)を読む。( 麻子の印象に強く残った映画として「ジュリア」があるが、この映画がリリアン ・ヘルマンの自伝。) この他にも、人によっては次のような事柄にも興味を持つであろう。

● 古い陶器やギリシャ正教のキリスト画などの修復方法。エジプト考古学の研究 。

● カバン作り。コンピューター、時計、カメラの修理方法。

● タングルウッドなどの音楽祭やまた楽器作り。楽器の修理。

● ワイルドライブやキャンピング技術。熱帯魚の研究。

● ヨーロッパ特にドイツのソーセージの研究。植物の交配やバイオテクノロジー の研究。

さしずめ映画ファンなら映画ビデオ100本の中の色々なシーンをひとつずつ「 泣かせるシーン」「感動するシーン」等々といった具合に分類することもよし、 写真に興味を持てばかたっぱしから図書館の写真集をやはりカテゴリー別に分類 してみるにも研究テーマになるように思えた。子供の頃から機械を分解して組み 立て直すことが大好きだった少年が若くて登りつめたペプシコーラの福社長のポ ストを「色水を売るよりも機械いじりにもどりたい」と言い残して辞し、今日の アップルコンピューターの基礎を築いたことはよく知られるところである。

 麻子はボストンの小学校の先生をしている親友のパトリシア・ハリスの祖父をケ ープコッドに訪ねたことがあったが、95歳になるその祖父の物置には、彼が1 915年からとりはじめた写真が未整理のままで何十万枚にもほこりをかぶって おり、麻子は、本気で一週間休みをとってこの写 真の整理をしてみたいという一 種の興奮にも似たものを覚えたことがあった。そして麻子はこれまでの自分の生 まれてから25年間の教育とのかかわり合いというものを振り返ってみると、そ れは自らの興味とうまくからみあった形で特段つらい努力を積み重ねたというよ うな印象もなく付き合って来られたように思えたし、ある意味では自分は幸運で あったようにも思えた。




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